マスク着用は和の精神と言えるのか

こんにちは。

INSIGHT共同代表の長尾知毅です。


大変長らくお待たせしました。


マスクは和の精神と言えるのか。

マスクの着用が個人の判断となり、間もなく新型コロナウイルスも5類相当となろうとしています。この機会に改めて、コロナ禍でのマスク社会を相対化し、再認識することは、今後起こるであろうパンデミックや社会混乱への予防薬として一定の価値があると思い、このブログを寄稿しています。

私は「マスクを自由にする会」を立ち上げ、20000人を超える皆様、そして多くの国会議員、地方議員の先生をはじめとした有識者の方々にご協力いただきました。そんな活動をする中、やはりご批判もいただくことがあります。その中で以下のようなご批判を拝見しました。「マスクは和の精神でみんな着けているんだ!だからみんな着けたままでいいじゃないか」というものです。今回は、「マスクは和の精神と言えるのか」検証していきます。

結論から申し上げますと、我々が活動し始めた、コロナ禍の終盤(主に2022年以降)のマスク社会は到底、和の精神とはいい難い状況であると考えます。

ではなぜそう言えるのかを詳しく考えていきましょう。

まず和の精神の定義を考えなければ、和の精神と言えるかどうかなどわかりません。ということで和の精神の定義を見ていきます。広辞苑によると、和とはなごやかなこと、仲睦まじいこと、と定義されています。またweblioによれば、和の精神とは、個の自律を重視する精神文化ではなく、集団の秩序と安寧、また礼儀と作法を重視した精神、と定義されています。これはすなわち、価値判断におけるベクトルが「自己」ではなく、「他者」に向いている精神性であるということです。例えば、和の精神を体現したとされる仁徳天皇の民のかまどの物語の中で、仁徳天皇は、国民すなわち「他者」の幸福を第一に考え、いわゆる減税政策を行い、仁徳天皇自身すなわち「自己」の利益を削りました。

このコロナ禍のマスク社会はどうでしょうか。コロナ禍初期こそ、他人に移さないようにマスクをつけるという、「他者」にベクトルが向いている日本人が圧倒的に多い傾向にありました。しかしながら、コロナが終息に近づくにつれ、自分の顔を見せたくないからマスクをつける、メイクしなくていいから楽、周りが外していないのに自分だけ外すのは恥ずかしい、花粉症がつらいから(自分も重度の花粉症)などというように、「自己」にベクトルが向いている日本人が明らかに増えました。今では、このことは、多くの調査、街頭アンケート等で明らかになった事実であります。そして、この傾向は若い人を中心にいまだに根強く残っています。

話をまとめます。

マスクは和の精神と言えるのか。
結論、言い難い。
なぜなら、和の精神とは、日本人の意識が「自己」よりも「他者」に向いている精神状態をさすはずだが、昨今のマスク社会における日本人の意識はそうではなく、むしろ「他者」よりも「自己」に向いている傾向が強いから。

マスクをなぜつける理由にまつわるアンケート

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2303/31/news185.html

https://resemom.jp/article/img/2023/04/06/71676/328685.html

https://news.yahoo.co.jp/articles/303b893c1988f1e39a43d3aa5d38812132fe7626

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2303/16/news165.html

https://youtu.be/Cz7RfNmljb4

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/468776?display=1


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